第一話 「虹色の翼」
第五幕
「元気ないね、はじめちゃん」
ステアリングを軽快に握りながら、神崎が声をかけた。
カーステレオからは、ストーンズの「START ME UP」がスピードを押し出すように流れている。
はじめは、なんともなしに助手席の窓に手をかけてもたれながら、ビートに合わせて流れる景色をうつろな目で見ていた。
「え?ご、ごめんなさいボーっとしちゃって」
「何考えてるか、あててみせようか」
神崎がギアを手馴れた手つきでさばきながら、はじめの方に涼しそうな目を流した。
「昨日の桜木町の事件の究明もせずに、何を呑気に映画の撮影なんかしてるんだコイツら、と思ってる?」
「そんな・・・・・・・・・・」
「戸惑ってるのはわかるよ。でもね、僕達は何も知らない手駒かモルモットにすぎない、違うかい?」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「もっと深い所では、色々な事態が進行してる。月組もEMI(帝国情報部)も血眼で操作にあたってるし、神崎財閥では莫大な金が動いてる。」
手をのばして、神崎が少しステレオの音量を上げた。
「でも、それに下手にクビをつっこんだら、翌朝の朝刊に轢死体発見の記事が載るだけさ。モチはモチ屋、僕達は、事が起きたら前線に出る。ヒマだったら、命知らずの特技で国民の娯楽のお手伝いをする。そんな塩梅になってるのさ」
「・・・・・・・・・やけに、冷めてるのね」
はじめは前髪をかきあげて、あらためて神崎の横顔を見た。これが、さっきのナンパ青年のセリフだろうか。
「客観主義なだけさ。この世は白黒はっきりしてるわけじゃないし、それを受け止めるべきだ」
「そうかもね・・・・・」
はじめは、背もたれに深く上半身を押し付けた。喉がカラカラに乾いて来た。神埼の言葉は、はじめにとって、精神的に重かった。
「僕だって知ってるんだよ。インドシナ戦役の帝国空軍最強空武部隊、最後の生き残りの事」
「やめて!」たまらずはじめがそこで遮った。喉の奥から絞り上げるように。
「ごめん」
フロントガラスに、細かい水滴がつきはじめた。水滴は無数になり、雨が道を覆った。ワイパーが、せわしなく揺れ始める。
「その事、あと誰が知ってるの?宇宙組隊員の中で、だけど」
その事、とは別にはじめがインドシナ戦役に参加したという経歴の事そのものを指すのではない。もっと深い、そこで起きた”あること”について言っているのだ。
「桜田君と、あと今、中国に行ってるバカは何も知らないよ。ユーリは少し知ってるけど、君を見て何か直感したみたいだね。僕は家の事情、なりゆきで知っただけさ」
「そう・・・・・・・・・・・」
インドシナ戦役。嫌な言葉だ。はじめはじっと自分の手を見た。
一年前、カンボジアの第2皇子が暗殺され、ベトナムの後押しでクーデターが勃発、ミャンマー国境に武力侵攻。 カンボジア王家が亡命した北朝鮮の関連で中国がカンボジアに出兵を開始、それを鎮圧すべく参戦した国連軍を交えて、泥沼の戦闘が展開された。日本軍もこれに国連軍として参戦、多くの血が流されたが、最終的に停戦合意に到った。しかし、結果としてカンボジアには、国連主導の自由選挙というタテマエの下に大国の情報操作、政治工作による傀儡政権が擁立され、亡命した王家やその援護派という内乱の火種を抱えたままだ。
その戦況の複雑さ故、何の為の出兵だったのかという世論が巻き起こった。それがインドシナ戦役である。
.・・・・・・・・・・一体、私は何をしてるんだろう?
はじめは、気付かれないように舌打ちした。
私はただ、なりゆきに身をまかせて人殺しをし、この純真そうな部隊の隊長でありマネージャーなるものにいきなり着任し、初陣で倒れてみじめにも隊員に介抱してもらって目覚めた一日目にして、今度は自分のみっともない過去を見抜かれている。
はじめの憂鬱な気分を乗せたまま、車が撮影現場についた。雨は通り雨だったらしく、すっかり止んでいたが、現場は工事現場を再現して作られたセットなので、地面がぬかるんでいる。
スタッフの一人が駈け寄って、この地面の状態だと危険だから中止になるかもしれない、と言った。
「冗談じゃない。これ以上撮影日数を増やしたら、時間の無駄だよ。僕達にはもう時間がないんだ。僕は、なんとしても今日やります」
神崎が急に緊迫した面持ちで言った。
(時間が・・・・・・ない?)彼があまりにも真剣な口調だったので、靴の裏にねっとりと付く泥を払おうとしていたはじめは、反射的に顔を上げた。
「確かに・・・・・そうだな。よし、今日やろう。」
監督らしき、日焼けした固太りの男が近寄って来た。なかなかの即断即決だ。
監督は通信機を取って、地面の泥をじゃりじゃりいわせながら大股で歩き回り、スタッフに大声で指示を出し始めた。その言葉使いの荒さが少し耳障りだったが、その修羅場ぶりを見ながら、
「まるで戦場ね。どこも・・・・・・同じか」とはじめはつぶやいた。
「わかっていると思うが、一度撮り始めたらやり直しは効かねえ!チ×カスな絵を撮りやがったり段取りをミスるようなカマ野郎は家に帰ってマ×かいてろ!っつーか死ね!あと5分きっかり経ったら本番行くぞ!」
クレーンで上昇しながら、監督が今度は拡声器でがなり立てた。この時代は空間に投影できるマルチディスプレイが普及しているので、腕につけた小型高性能の、撮影用コンピュータによって、監督のまわりに次々とディスプレイが表示されていく。
一方、神崎はさっさとロケバスの方に行って色々とせわしなく作業を始めてしまったので、はじめは一人でとりのこされてしまった。
「・・・・・・・よく考えればマネージャーやれって言われたけど、何やっていいものやら・・・なんだか神埼くんってなんでも一人でできそうだし」
・・・・・・・それに私は軍人なのよ。
デモ、ソレハ、ナリタクテ、ナッタモノカシラ?
「だ、れ・・・・・?」
はじめは、見知らぬ声に驚愕した。初めて白蓮に乗った時に感じた、頭に直接響く声だ。
あなたは、何もしたくない
あなたは、ただ流されているだけ
(誰だ、姿を現せ・・・もしかして、降魔?)
はじめは、腰に隠している拳銃に反射的に手をやった。
降魔?私は、降魔などという下等な化け物ではないわ
何かが、来る。はじめはイヤな偏頭痛がしてきた。
あれ程騒がしかった、撮影現場の雑音が、なにも聞こえてこない。頭が割れそうだ。
(だめ、この人達を巻き込んでは・・・・・この人達は、みんな一生懸命、夢を創っているんだから・・)
空想を創り出しているのね、でも、現実だって空虚でもろいものなのに
そして、わたしも空想に逃げていたわ
でも手に入れたのよこのちからを
「アクション!」
監督の声と同時に、はじめは我に帰った。
轟音と共に、セットの鉄骨が崩れ落ち、連続的に爆発が起こった。それに追われるように、けたたましい水素エンジン音を鳴らしながら、青いボディの車が猛スピードで駈け抜けていく。車は弾丸のように爆炎を通りぬけ、横転しながら、ぬかるみでスリップしながらさかさまになって止まった。
「カット!」
遠くから見ると、それは淡々とした雰囲気だったが、それが行われた間に幾人もの緊張が駈け抜けていったことが伝わって来た。
「よっしゃ!いい絵だ。このぬかるんだ泥がかえっていいカンジになった。ご苦労さん」
監督がメガホンでがなりたてた。スタッフから安堵の歓声が漏れる。
さかさまの車から、神崎がはいずり出て来た。さっきとは打ってかわって、Tシャツにジーンズで、泥だらけになっており、別人のようである。そして、ちょっと泥をはらうと、何事もなかったように歩き出した。
「・・・・・」
あまりのことに、さっきの不思議な声のことも忘れてしまったが、まだ、はじめの頭はズキズキと痛んでいた。
「はじめちゃん、見ててくれた?僕の華麗なカースタント♪」
泥だらけの格好で華麗と言われてもどうかと思うが、神崎の顔は晴れ晴れとしていて、はじめもなんだかホっとさせられた。
「うん、すごかった。よく無事でいられるね・・・流石だわ」
「いやまあ、それほどでもあるけどね!見てよ、どこもかしこも傷ひとつついちゃいないでしょ!泥はついてるけどね」
神崎は大げさに手足を動かしてみせた。
「待って」
はじめは神崎の腕を取ると、肩の間接のあたりを少しつついた。
「うぎゃぁぁあぁ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・脱臼してるわよ。そんなに痛いなら隠さなくてもいいのに。まあ、これくらいなら」
はじめは、すばやく接骨の応急処置を行った。
「いたたたたた!・・・・・ってアレ?なおった」
「でも一応、救護班に見てもらった方がいいわよ」
「あ・・・ありがとう・・・・」神埼はまったくの素に戻ってしまって、ばつの悪そうな顔をした。
はじめは、神崎という人間が少しわかったような気がした。かなりの努力家だが、決してその苦労を顔に出すことは無いのだ。それもプライドの高さ故なのだろう。
「それにしても・・・・はじめちゃんも、少し診てもらった方がいいんじゃない?顔が真っ青だよ」
神崎がはじめの顔を真剣な面持ちで覗き込んだ。余程、具合が悪そうに見えたのだろう。
「私は大丈夫。大丈夫よ」
はじめは冷静に言った。こんな事で、今の神埼達の晴れ晴れした気分をぶちこわしたくない。その時だった。
はじめには見えた。
「伏せて!」同時に、はじめは神崎の体を突き飛ばして覆い被さるようにかばった。
それと同時に、陽炎のように空気が歪み、小さな爆風が起こった。神埼の立っていたあたりの地面が、へこんでいる。
「能力者、ここにふたり」
むせかえる煙の向こうに、小さな女の子が立っていた。目はうつろで、どこか遠くを見ている。その雰囲気は不気味だった。
「な・・・・・・なんだよ君は」
神崎は少し戸惑いながらも、それが何か、本能的にわかっていた。
「神崎君、さがっていなさい」
はじめは、腰の後ろからハンドガンを取り出すと同時に、セーフティをはずし、少女に向かって連射した。
「な、何するんだ!相手は子供じゃないか・・・・・!」
神崎がはじめの腕を取って激昂した。しかし、はじめの表情は冷徹さを崩そうとしなかった。
「よく見なさい」
少女は、かくん、と首をかしげていた。見る見るうちに、その体はどろどろに溶けていき、不気味な咆哮をあげながら、地面に消えていった。
足元には、はじめの放った銃弾だけが、ぽろぽろと残されていた。
「い、今のは・・・・・」
「奴に、ただの銃が効くとは思えない。逃げただけね・・・・」
不思議なことに、神崎とはじめの二人以外の撮影スタッフは、何事もなかったように、撤収準備を始めている最中である。
「あの瞬間に、ここではない別の空気を感じた・・・・まさか、違う次元・・・次元を操るというの・・?」
はじめは、自分でも何故こんなことを喋るのかわかっていなかったが、直感的にそう思えているのだ、
「降魔・・・は、人の姿を模すことができるっていうのか?そんなケース、あんまり聞いたことないけど・・・・・・」
神崎も、なんとなく事情が飲み込めて来たようだ。しかし、神崎は、はじめが悲痛な表情を浮かべているのが気になった。
その時、はじめの手首につけた通信機が鳴った。
小型ディスプレイに、軍服姿の倉田が映っている。
「朝日奈さん、大変です!横須賀沖に、全滅したはずの第五十六空武小隊が出現しました!」
「なにそれ!?」
「識別コードに間違いはありません。しかし、全滅したという報告にも偽りは無いはずです。現在、全機が横須賀沖から東に向かっています。柳田司令より、総員第2種戦闘配置命令が出されました。 至急、お戻りになってください」
「わかったわ。神埼くん、行くよ」
「まかせて、全速力で飛ばすから」
「ごめんね、疲れてるところに」
「大丈夫、ただ、僕の車のシートが泥だらけになっちゃうのは惜しいけどね」
そう言いながらも、神崎は運転席に座ると、ガコンッとギアを素早くシフトさせ、車を急発進させた。
(やれやれ、この人達とやってくには、乗物に強くないとつとまらないわね。)
はじめは、助手席で舌を噛みそうになりながら、心底そう思った。
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